矢内廣氏の略歴

大学進学のため福島県から上京した矢内廣氏は、映画館に通い詰めていました。しかし、自分が観たい映画がどの劇場で、何時から上映されるのかを知るすべが当時はありませんでした。そこで彼は、自分が知りたい情報は他の人にも役立つに違いないと、中央大学在学中に友人7人と、映画、芝居、コンサート、展覧会のすべてを網羅した月刊情報誌ぴあを創刊したのでした。創刊号は取次店では扱ってもらえず、直接書店に置いてもらうために矢内廣氏自ら東京中の書店をめぐったそうです。なかなかうまくいかず途方にくれていたところ、たまたま知り合えた元紀伊国屋社長田辺誠一氏の力添えで書店に置いてもらえることになりました。

大学卒業後、ぴあ株式会社を設立し代表取締役に就任しました。1981年から、自主映画の発表の場、ぴあフィルムフェステバルを開催し、1984年からはインターネットでのチケット販売を他に先駆けて始めました。今では、オリンピックやFIFAワールドカップなどの国際的なイベントのチケット販売も行っています。子ども時代からの人を喜ばせたいというサービス精神と、上京後、西も東もわからない状況を自分だけの問題とせず、自分が困っていることは同じ思いをしている人がいるに違いないと考える想像力、そして、それを実行し実現する行動力こそが、矢内廣氏の成功の源です。

ぴあ株式会社社長・矢内廣氏のエピソード紹介

ぴあといえば昔からある映画やコンサート、演劇などのチケットを取り扱う会社です。雑誌も本屋などで出ていますし、皆さんも一度はお世話になったことがあるのではないのでしょうか。そんなぴあを設立したのが現在の代表取締役でもある矢内廣氏です。矢内廣氏はなんと大学在学中に報道局でアルバイトをしているときに映画とかのエンターテインメントの情報誌を作ると良いんじゃないだろうかと現在のぴあのげんけいである月刊誌を作って販売しています。そして、大学卒業してから2年後にはもう株式会社ぴあを設立しています。すごい行動力と実行力の持ち主です。そんな矢内廣氏ですが、実は少年時代から実業家としての手腕を発揮しているというこんなエピソードがあります。

小学校時代に母親が食べきれないほどの甘納豆を作ってしまいました。そこで柳井少年はそんな甘納豆を袋詰めにし、くじを着けることを思いつきます。そして近所の子供たちに紙芝居を読み聞かせて底に集まった子供たちにこの甘納豆を一個5円で販売したのだそうです。これは後で母親に発覚し、こっぴどくしかられたそうです。こういったことをとっさに思いつくのはやはり才能のなせる業でしょうか。このとき、氏はお金が儲かるのが嬉しいのではなく、皆お喜ぶ顔を見るのが嬉しかったのだそうです。

矢内廣氏を姓名判断

1950年生まれの矢内廣(やないひろし)氏は、ぴあ株式会社の創業者であり代表取締役社長です。現在、ぴあ主要グループ会社の代表を務めるほか、社団法人日本雑誌協会常務理事、公益財財団法人ユニジャパン評議員など幅広く活躍しています。矢内氏を姓名判断で占ってみると、祖先運とも言われる天運を表す苗字「矢内」は9画です。個性的であり頭脳明晰です。大成功する反面、山あり谷ありの人生を歩みます。地運を表す名前「廣」は15画です。強運の持ち主で、仕事や健康に恵まれ、人間関係も良好です。知性と良識があり起業家としての素質が見られ、引き立てられて早くから社会的に成功します。

苗字の下の文字「内」と名前の上の文字「廣」を足すと19画の人運です。天才的才能があり、大成功する可能性を秘めていますが、困難な道を自ら選びがちです。芸術と学問の分野によって社会的に認められる運勢です。苗字の上の文字「矢」と霊数1を足すと6画の外運です。あらゆる面において成功をおさめるツキがあります。財産運と家庭運が吉です。コミュニケーション能力が高く社交的で、目上の人間や組織からサポートされる事が少なくありません。総運を表すフルネームは24画です。たとえ無一文からであっても大富豪になる暗示が出ています。才知と天分、子宝に恵まれ、心身共に充実した毎日を送る事が出来ます。